スポンサーリンク春4月。多くの子どもたちが新たな学校生活をスタートさせる中、福岡市の高校2年の男子生徒(16)から気になる声が特命取材班に届いた。「なぜ、ツーブロックの髪形がだめなのでしょうか」。ツーブロックは頭頂部を長く残し、サイドや後頭部を短く刈り上げた若者に人気の髪形だ。取材班が福岡県立の高校・中等教育学校全95校の校則を調べたところ、少なくとも約3割の27校が禁止項目に明記していた。
(中略)
取材班は今年2月、福岡県教育委員会に県立高校の校則に関する資料を請求。入学前に配布される「新入生のしおり」などの資料約550枚が提供された。併せて全校へのアンケートも実施。生徒指導担当教諭らに頭髪などの規定を設ける意図などを尋ね、25校から回答を得た。
頭髪については、95校のうち全日制の全93校が規定。染髪や付け毛などを禁じ、禁止する髪形として27校はパーマやそり込み、リーゼントなどと同列の扱いでツーブロックと明記していた。「技巧的」「不自然」「特異」などと表現する高校もあった。禁止する理由として、多くは「高校生としてふさわしくない」ことを挙げる。
出典:Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190415-00010000-nishinp-soci
ってそれぞれ人の主観だから難しいと思う。
高校生らしい。って何だろうね?
髪型で色々な意見が出るとは良い時代になったものだ笑
さて、僕の考えは公立はもっと自由で良いと思う。
そもそも公立中学は選択して行くわけではない。
強制?されていくものだ。
だから、校風とかが嫌でもその地域に住んでいれば行かなくては行けない。
だから、もう少し自由でも良い気がする。
逆に私立に関しては学校の自由だと思う。
学校側が自分たちのブランドの為、ある程度の規制をするのは仕方がないと思う。
そこの校則が嫌なら入らなければ良い。
選択の自由は大事だと思うので、選択できないのなら、もう少し自由にしたらどうかな・・・と思います。
部活の試合前は必ず綺麗に洛南カットするようにも言われる。
高校生らしくと曖昧な言葉で生徒の髪型を先生が規制するのなら洛南のように「この髪型に!」と明確に表して入学を希望する生徒達に周知徹底させるべき。
本当に入りたいのなら規則は守るだろうし嫌ならその学校を選ばないだろうし。
いけないのは教師の主観で生徒達を縛る事だと思う。
〇〇先生はオッケー出したのに、△△先生はダメと言った。
こういうのが結果的に大人を信用しなくなり、髪型だけの問題ではなくもっと根の深いものを作り上げてしまう。
きちんと誰が見ても適正なのか否かを判断できる基準を明確にできるルールでないとダメ。
ファジーで良いこともあるが、多人数が絡み、学校の校則として決めるのであれば曖昧さは回避すべき。
ツーブロックは耳の最上部より上で借り上げてはいけない。などとはっきりすべき。
ツーブロックにもこれはないだろう。ってのと、清潔感が出るものとがある。
細かな点を潰してそこから逸脱しているのかを判断すべき。
個人的には爽やかに見える場合なら良いと思いますが、それを生徒手帳に明記するのは表現が難しいかもしれません。
この問題は大変難しく偏差値の高い学校は校則が緩くても生活が乱れることは少ないのですが、偏差値が低いと生活まで乱れていくことが多々あります。
そういったことを前提に各学校で考えての校則だとも思うので、ルールを守る練習と捉えられられると一番良いのかなと思います。
以前から個性ということを勘違いしている方が多いように感じていました。
個性とは、ある決まりのなかで現れるもののことをいうのです。
ですから、校則を守らずしたい髪型にすることは個性ではないのです。
子供の成長を考えると、緩すぎず厳しすぎず程々の時代に合わせた校則が良いのではないでしょうか。
でも個性は大切だと思うけど、すべて個性だから許すべき!って考えのまま大人になるのは怖いから少しは校則で抑えるべきだと思う。そのうえでその学校が嫌なら入らなければいいだけ。
高校生は「おしゃれ」と「身だしなみ」の違いを分かっていない人が多いからね。大人になって金髪ロン毛で公務員試験落ちたら「個性を認めない国が悪い!」とかいうのかな。
ある先生は良くても別の先生はダメとかだと、生徒も戸惑う。
例えばツーブロックだったら、刈り上げ部分は何ミリまではオッケーとかにするとか。
まぁ実際の規定より短くても、生徒が規定より長いと言い張る場合もあるから難しいんだろうけど。
高校生くらいになると自我が強くなってくるし、学校側も生徒を管理するのが難しくなってくるしね。
生徒を管理って表現は好きじゃないけど、学校側は個性を出すよりみんな同じの方が楽だもんね。
偏差値の高い学校の方が校則もきつくないって言うし、子ども達も校則に縛られたくなかったら頑張って勉強して、自分で自由を勝ち取るしかないかもね。
他高は、ソックスの長さまで決められていました。
ただ、自由だから自由にしていたというわけではなったと思います。特に決められていなくても、金髪の子いなかったし。きっと、生徒と先生の信頼関係がある程度あったのではないでしょうか。
郷に入りてはという言葉通り、なんか変な規則だと思っても、決められているなら守らなくてはいけないと思います。
その規則が変だと思うなら、正等に革命を起こせばいい。
マスコミが取り上げて、大人達が学校叩きしてくれて自ずと代わってくれる事を望むのではなく、生徒が自主的に学校に立ち向かう知恵、生徒会で取り上げ先生と話し合うなどすることを学んでほしいものです。
画一されたカリキュラムを組むのでは無く自主性に基づいた学校教育にシフトしていくのかもしれない。
それはそれで個人の自主性や合った能力の開発という点で優れた人材の教育に効果があるのかもしれない。
一方、自助努力の出来る人間は能力を磨き続ける事が出来るが、怠惰に流れやすい人間は落ちこぼれる傾向も出てくるだろう。
「自己責任」と断じる事は出来るだろうが、バランスが崩れれば歪みが起きて犯罪の温床にもなる。
個人と群の相関は個人主義の時代だからこそ考えなくてはいけない問題なのだろう。
これは企業でも終身雇用とか集団でものを作ったり考えたりということで1990年前後までの反映はそれでもよかった
集団主義の問題は個性を犠牲にし、個人の考えなどを封じ込めることで特に政治にとって、反抗的な思想を作ったり、デモもあまり起こさない、社会的問題も起こさないように封じ込めるには成功したと言える
でも欧米は個人主義、個人の違いを尊重し、民主主義では議論や投票で物事を決めるし、問題が起きても普通は個々に対応する
日本のように中央がすべて決めて従わせるようなことはない
よって校則も学校ごとに決めればいいし、何か問題があればその中で解決方法を模索すればいいのである。
マニュアルがないと何もできないのもその典型
生徒たちに決定権を委ねた上で、その結論がTPOに反するものであるならば、助言をおこない正しく導くというのが教育者の責務。
「ルールだから守れ」というのは教育ではなく、説得力に欠けることを強制しているに過ぎない。
意思が伴っていなければ意味がない上、皆で公平に決めたルールにも従わない、抜け穴を探すような人間になっていく。
あくまでも「知は力」であることを教育者は心がけなければならない。
もし、この校則を不服とするのであれば、生徒自身は異議を申し立てればいい。平成という時代は「権利の衝突」が頻発した時代だった。
それならば社会の中で権利を主張し、社会を作りだすという必須のスキルを学ぶ絶好の機会となっている。
ぜひ生徒たち自身にこの権利侵害を打開するために頑張ってほしい。
他の方も仰っていますが、偏差値が高い学校では服装も自由だったりします。
その学校を目指すことはしなかったのでしょうか?
そして、髪型や服装を自由にして、一般的な評価が下がるリスクも考えているのでしょうか?
変化を求めるなら、文句を言うのではなく、生徒会などを通して意見しましょう。
どちらにしても、今あるルールが守られていないなら、それ以上緩めていくことは難しいと思います。
②学校側(管理側)から考えると、ある程度自主性に任せても…と思うところもあるんだろうけど、常識の範疇(これも基準がないんだけど)を超えたようなことをやるやつが出てくるから、わかりやすい基準を作らないと管理ができなくなる。偏差値=民度でもないんだけど、だいたい偏差値の高い学校は校則が緩めだったりする(全ての学校がそうだとは言わないが)。それは、いちいち規程しなくても常識の範囲で行動できる生徒が多いから。
③男子坊主、女子おかっぱってほど、極端でなければ校則は学校側が決める権利があると思う。管理の問題、対外的なブランドイメージ維持とかは学校の責任だから。
④義務教育以上の進学先は自分で選べるのだから、校則が気に入らないというのであればそこに行かないという選択肢もある。そこしか行けない…というのであれば、それは諦めるしかない。
校則に限りませんが、ルールや規則を無碍に排除して、自由や個性がほぼ無条件に認められると、社会的にはきっと不安定・暴力的な傾向を強めるでしょう。無秩序な外国や、あおり運転とかモンスターペアレントとかを想定しますが、今までの常識が養われなくなる弊害です。秩序と自由とどちらを選択するかの問題なので、その是非は社会構成員が判断することですが、多少の我慢があるとしても、ルールのある社会の方がいいと思います。
高校は全国トップクラスの自由な学校で、校則なんて見たことも聞いたこともなかった。但し、自由を謳歌するためには責任が伴う。自律した人間になる必要があると、強圧的ではなく自然体で教育を受けた。人格形成の大切な時期にこのような教育を受けたことは、教養を高め、他人を思いやること。仕事でも新しいアイデアを柔軟に考えることができるようになった等、悪いことは何1つ無かったと今になって思うようになった。当時の先生方には感謝の意しかない。
それが立証または説明できなければ、どんなに素晴らしい主張だとしても賛同を得る(擁護される)ことは難しいと思う。
ましてや根拠もなく詳しい説明すら無いとなると、争ったら負ける確率が高いし、当該記事本文記載の学校の事例のようにほぼ丸刈りにしても認めてもらえなかったとなると、「ではどのような髪形が高校生らしく、妥当な髪形なのか、それを示す必要がある」という結論に至るのは明白。
故に、学校側は明確な基準を示すべきだし、生徒側もそれに関する訴求を徹底してやるべき。
単純にツーブロックで高校入試を受験しますか?
ツーブロックで就職試験にいきますか?
ツーブロックで面接を受けますか?
染毛も同じですが、髪型が100%面接に影響しないといえますか?
社会的に受け入れられるかどうか考えているのではないでしょうか。
会社の人事や入試担当者に好印象なのはどんな容姿でしょうか。
たしかに「高校生らしくない」は抽象的です。
でも、その中に含まれる意味を理解し、自分で正しい判断ができないのならば組織的な規則はあってしかるべきではないでしょうか。
人を見た目で判断してはいけない
そうです。では、逆になぜそのような言葉が生まれたのでしょうか。
それは、人は見た目で判断されやすいからです。
生徒の人生がたった一つの髪型で左右される可能性が少しでもあるなら、手放しに自由で良いとは言いづらいところではあると思います。
例えばチェゲバラも思春期に独自世界を開拓構築して、その後の革命に繋がっていったふしがあるけど、思春期は特にその後の生き方、社会に飲み込まれるか変える人間になるかなど、世界観や人生観を形成する分岐点にもなる。遅くなればなるほど、変わったり変えるのは大変になるから、多少摩擦を起こしでも勢いを活用できる若い内に立ち上がることをすすめるよ。それが社会や仲間のためだと後でわかる。
現社会の延長的エリートの若者なら、周りの理解や環境の中で和と個の統合もしやすいだろうけど、新しかったり大きな変革をあらわしたければ時に尖る必要も当然あるからね。逆にそういった革命的な志は、棘がなければ花も咲かないだろうね。煮えたぎる血が根幹を貫く栄養として必要で、逃げずに昇華をあらわすべきさ。
こればっかりは日本の文化としか言いようがないんじゃないかな、海外のように色んな色がいるわけでもないし、日本の場合、規律や礼儀作法に厳しいと思うから、目立つ人、人と違う人は叩かれる。
でもその厳しい学生時代や文化でそだったから日本人は綺麗に順番まもって並んだりすることができるんだと思う。
個人的にはツーブロックリはどうでもいい、その生徒や教師の背景がわからないし。問題児で先生も厳しく対応していただけかもしれない。
度合いがすぎる教師はそのうち叩かれるだろうし。
文句があれば髪型のために違う学校にいけばいいw
髪型金髪で学校行きたいなら海外留学すればいい。
高校の校則のイメージは、偏差値が低い、つまり入口が広い学校ほど校則は厳しいイメージ
高校は自分で行きたい学校を選べるんだから、厳しい校則が嫌なのであれば緩い校則の学校に入れば良い。その努力すらできないのであれば、自分を律することができないけど欲しいものは要求する人として、そういう人の層が集まる学校でルールが厳しくなるのはしょうがないのかなって思う。
個性的と言われることって基本は必要性のない贅沢みたいなのが多いし。無個性になれとは言わないけど、個性的になるには責任とリスクが付き纏うってことは学生でも知った方が良いと思う。
だが、髪色と目の色の生まれ持ったものはわざわざ申請してんだから専任の中では共有しろクソ教師共
「派手な髪形、服装の子に(問題を)聞いていくよ!」と言っていた講師がいた。
予備校だから生徒全員は知らないし、名前も知らないだろうから指名するのが難しいという理由もあっただろう。(ちなみに自分は髪型は普通だけど赤い服着ててなぜか指名された)
でも社会に出て思うけど、営業などインパクトを残すことがいい場合もあるということを感じることがあるし、予備校の時のこの件はそういったものに通じるものがあったような気がする。
これからは世界との競争に時代になっていく中で規則に縛りすぎてしまうのもよくないように思う。
学校・先生方もいろいろ大変だと思うけど、規則という言葉だけでなく実践で何か伝えることが出来るといいと思う。
派手なタイプで上手くいく人もいるし、規則通りで上手くいく人もいる。
規則という枠だけで考えてしまうと小さいものの見方になりそう。
それに反発する人がいてもいいし,色々考えるのが良いと思う。
実社会に出たら,納得できないこと沢山ある。
それに立ち向かって変えていくのも一つの手だし
どうでもいいところは波風立てずにいくのもアリ。
若いうちから,もやもやする感覚を沢山経験し
自分なりに考えて,対処していくのは良いことだと思う。
学校、教師側の主観や恣意で「なんとなくダメ」みたいのは
逆に教育上よくないと思う。無用な反感を育てるだけ。
なんでダメなのかきっちり説明できないと。
立場が上なら大した理由がなくても人の個性を
抑圧していいんだと、誤った大人像を持たせてしまう。
もし、自由な髪型や服装で、校外で何かしらの事件に巻き込まれたとします。その場合、社会はどうしても「見た目」で判断してしまうと思います。「そんな髪型や服装してるような・・」という声です。こういった声は、残念ながら、この日本ではあるのです。それが、変な中傷に繋がらないとは言えないと思います。また、そのような容姿を認めた学校の責任論も出るでしょう。社会を変えるのは難しいでしょう。様々な時代に育った人が一緒の社会に暮らしているのです。社会の一員になるということはどういうことかをしっかり教え、そのうえで本人が考えた髪型や服装なら良いのではないでしょうか。
理由を聞いてみても「心が乱れているから」だとかよくわからない根拠が立ち並びます。
しかし、問題を起こす生徒は髪形がツーブロックなどをしている生徒が圧倒的に多いです。おそらく経験則でこのような校則が制定されたと思いますが、納得のいく説明を入学式前の説明会で行われるべきだと思います。もし、説明会などをしているのならば保護者の責任である。
ではない。
それにこれは担当教員が代わると同時に変化することもある。
自分が高校生の時に天パで注意され、逆切れしたり、校長が代わった途端、ワンポイントソックス禁止で注意され、「まず先生方が手本を見せて」と担任に言ったら、2度と注意されることはなかった。
若気の至りもあったが、所詮校則の服装身なりの規制なんてそんなもの。
行き過ぎはよくないが、高校生にも個性はある。
昭和の時代では男子丸刈りの校則は珍しく有りませんでした。当時は長髪やパーマ、リーゼント等の髪型の生徒は非行に走りやすい。非行に走ってる人との接点が多くなりやすいと言う教育上の効果を狙っていた物でした。校則を守らせるために管理指導する必要が有ります。この中でグレーな状態、丸刈りの髪が伸びている状態、どれぐらいがダメかは何センチ等分かりやすい基準で運用出来ました。
年月が過ぎ丸刈り校則はなくなり高校生として相応しい髪型と言うある種曖昧で誰が見ても納得出来る基準が作れなくなりました。
一方先生は世の中の変化に対応するため教育者から役人的に成らざるをえなかった。
その結果、校則は教育的効果でなく役人としての管理基準の色合いが強まっていると感じます。
それは生徒にとって理解しづらい事になっているとと思います。
貧富の差、親の教育意識、価値観などですが、この影響差は大きい。
義務教育に入ると団体生活と各種教育を受ける訳ですが、その目的は「最低限の知識」と「社会常識の体得」でしょう。
(識字能力や初歩計算能力、意思伝達や文章作成。日常生活上必要な法順守意識や社会ルール把握)
私見ですがその意味では、義務教育下での管理統制は必要不可欠だと思います。
個人自由には義務(納税や法)と拘束(社会常識や企業規則)が付き物。
それを自己判断で行うには、精神成長と経済自立が必須。
少なくとも中学(15歳)までは、権利制限は有るべきです。
高校生なら状況次第、学校ごとの生徒水準が違い過ぎますので一概には言えない。
一般的に学力重視しないレベルの公立校こそ、その種の生活管理教育は必要でしょう。
自己管理が出来ない生徒が多いからね。
悪いことばっかしてるやつと似た格好をすると悪いことをしていなくても悪い印象がつくのは仕方ない
世の中印象も評価のひとつということも教えないと。
自分達だけの主観でなく広く考えた時どうかを意識することも出来るようにならないと自分が損するぞって教えた方が良い
それでもいいっていうなら内申点をがっつり下げれば良いだけ。
身だしなみで留年もありにすればいい
所属するなら所属場所のルールに従わなければならないという社会のルールを教えないと
低いところは厳しいってコメント多いが当たり前よね。
学力的な頭の良さと、人間的な頭の良さは異なるものだと思うけど、それでも、相対的にどちらの頭の良さも持ち合わせていたら、校則が自由だったとしても、限度を超えたハズし方はしないから、校則で縛る必要がない。
相対的に頭が悪いと、縛られない事は何でもありという事と考える場合が多いから、限度もなければ品もない状態に陥るから、校則で縛るしかなくなるという話。
制服自体が無い高校のですが、問題を起こす生徒さんを見た事がないです。
校則は必要ですが、ガチガチに縛る校則は大人の都合が強いと思います。
見た目で人を判断しては駄目と教える立場である教育関係者が、学生らしくないという見た目で判断する部分が大きな矛盾点では?
これは難しい問題なのでしょうが、子供達って大人が気付こうとしないだけで、大人よりシッカリしてたりしますからね。
子供達から教えられる事も多くある。
個性がなくなるという意見もあるが、ルールを守れないのに個性を重視するのは違うと思う。
ただし、学校側がルールを曖昧な解釈で行使するのは単なる怠慢なので、もっと明確やなルールを設けるべき。
生徒側もそのルールがおかしいと思ったら改正するためにはどう行動したら良いかを学んで欲しい。
自分が高校生の頃は無かった
極論になっちゃうけど
年齢制限がないんだったら高校生らしさの概念が違う様に感じる
だから多くの大人がしてることは高校生でも
悪いことじゃない限り干渉することではないと思う
むしろ、学校側や保護者がもっと寛容になって
寛容な社会を作る教育が必要な様に感じる
高等学校の校則は高校生らしさよりも
社会的にNGな事に寄る方が良く思えます
反社会的勢力の人みたいなことや見た目
法律では定められてないが、一般的に相応しくない行動
強いて言うなら学校が目指す理想に相応しくないこと位で
こういう行き過ぎた校則を作る学校は
過保護を与える代わりに自由を束縛してる象徴に思える
でも、それを望むなら、それは否定しません
そういう教育がしたいなら、
生徒になる人達に
その事をちゃんと分かるように公開すべきだと思う
勉強をしに行く場にオシャレは必要ないという事なのですから。
ただ、どんな格好をしていたとしても、
シッカリとやるべき事をやっていれば問題はない様に思えます。
勿論、社会に出る為の基本的な教育の場でしょうから、
奇抜なのもどうかと思いますが、
その感性すら人それぞれが違うのも考慮した上でやるならシッカリとした
ルールを設けてあげたらどうでしょうかね。
制服だって着て行かなかったらダメでしょ?
身だしなみという意味合いでは一緒なのでしょうから、
これでなくてはダメ。のルールは大事だと思います。
まぁ〜やるべき事もやらずにオシャレしていては本末転倒。
先ずは外見より内面を鍛えよ!と言いたい。
たしかに普段仕事をしていて、なんで校則でツーブロックがダメなんだろう?って思う時はあります。
昔は毛量が多く普通に切っても不恰好な人が両サイドのブロック(ツーブロック)を刈り込んで被せて見えないようにしてバランスを取る。といったスタイルでしたが
近年は一概にツーブロックと言っても刈り上げの位置も様々でたしかに中には「高校生らしくない」という印象のツーブロックスタイルも存在するのも確かです。
明確な基準が存在しないので学校側の判断も難しいのはわかりますが、、
「高校生らしい」と曖昧に、ただ単にツーブロックを禁止するのではなく刈り込みな見えなければOKなど使ったらいいのになと普段から強く思います。
これも賛否両論あるとは思いますが、ヘアカラーなどに関してももっと自由であってもいいのになと感じます。
昔は違反すれば問答無用で罰されたし、従いたくないから違反をして不良と呼ばれる人もいた。
今時、そんな校則って思うけど高校までいったら自己責任だと思う。
髪型は自分でやりたいようにやって、それで不良のレッテル貼られて卒業後に後悔しないならそれでいいし、今理不尽でも従い優等生でいたいならそれでもいいと思う。
高校などなら校則緩いとこを選べばいいじゃないかな。
社会を学ぶ第一歩。
日本人からみて奇抜だな、怖いなと思う髪型をしていても真面目な人がはたくさんいるし、逆にそこを縛るから反発するのでは?
個性は内面だけでなく見た目からもでていいと思う。
見た目をいじること、いろんなファッションをするのとが将来に繋がる子供もいるのでは?
大袈裟かもしれないし、ある程度ルールを作ることに意味があることも理解しているけど。
それ以上に縛ることの方がためにならない。としか思えない。
ましてやネットで世界中の色んなことがわかるこの世の中で。
日本にいたら日本のルールに従うのは当たり前だけど、
正直髪型もだけど、やりすぎだと思う。
ツーブロックって。笑
おれも高校時代に眉毛より上に前髪とかあったけど、眉毛めっちゃ上にあったらどーすんねん
清潔感なんて受け取る人によって違いますから、その学校で「その髪型はダメ」というのなら仕方がないかと思います。急に設定された校則でもないでしょうし、昔ならまだしも今の時代は調べることもできたでしょうし、あらかじめわかっていたのではないですか?その髪型がダメって。私自身はツーブロックはチャラいイメージを持っていますので、清楚だなとは全く感じません。高校生がわざわざそれにしなくてもいいと思っています。髪型自由の学校もあるでしょうし、制限が多い学校もあるでしょう。坊主頭を強要するのはいかがかと思いますが、ダメな髪型があるくらい、それに合わせればいいのでは。親まで出てきて恥ずかしいと思います。今は学校だって校則や校風で選ばれる時代。自分で選んで決めて通ってるんですから、覚悟を決めて3年間を全うしてほしいものですね。
が、だからといって全ての校則にいちいち意義を求めて疑問を投げかけるというのもこれまた無駄な労力な気がします。
どうしても変えようが無い部分に関して校則がネックになっているのなら存在意義を問う必要はあると思いますが、単に自分が気に入らないから、ポリシーに反するからという理由だけでわざわざ学校に存在意義を問い談判してまで校則を変えさせようするのなんかはどうなのかな。
そんな事を考えるくらいなら、今の校則を守った上でどこまで楽しく過ごせるかを考えたほうがよっぽど有意義な時間になる気が。
美容師さんとよく相談して上手にやってました。検査はかなり理不尽で曖昧だったよう。
娘の学校は校則は緩めです。工夫しながらオシャレを楽しんでいます。
校則でしばると子どもは考える事が減ります。受験、学校の評判、世間の見た目への評価。それらを話した上で、自己責任で良いのでは。
真っ赤なツーブロックで入試や就職で失敗しても自己責任です。
先生方も多忙ですから検査に時間を割く必要は無いのでは。より良い授業に時間を割いて欲しい。
法律を守る、学校の品位を落とさない、全て自己責任!くらいの校則で充分なような。
もちろん、校則無くしたら酷い事になりそうな学校もあると思います。でも逆に上手なオシャレの授業をしてみたらどうでしょう。
完全な自由にすると度を超えた、成人式みたいな髪型の生徒も出てくるだろうし、かといって前時代的な丸刈りの強要もできない。
ルール、ルールと言うことで自らの自由が狭まっていくたこと、自由は皆のモラルによって守られているということを学ぶ機会になると思う。
私の母校では、生徒の自由を守るために生徒の発案により規律委員が設立されました。
生徒自らで判断し、ルールで自由が狭められることがないように努めることが学生の将来のためにも必要かと思います。
種類は色々あるけど、清潔感はあるし
男らしい。
染髪やパーマはダメかなぁと思うけど。
高校以上は義務教育でないからある程度自由でも良いと思うけど、ルールが無いと好き放題する人がいると思うし、勉強しに行ってる訳で。
個性を発揮するのは卒業してから大学行くか、社会に出てからでも良いとも思うけど。
今後何事も我慢出来ない子が増えそうで心配です。
だから“高校生らしい”っていう曖昧な決めごとがあったとしても、明確に決めるべき!というより、どうだったら“高校生らしい”になるのかな?と自分で考える機会にもなるんじゃないかなと思いました。
もう高校生なんだから髪染めるくらい、ツーブロックにするくらい…って思うのならば、高校生にもなったんだから自分で考える人になりなさいって言われてもおかしくない気がします。
こういう外見の不自由を訴える学生見ると、外見より中身を磨くことが本当に本っ当に!!大切だって大人になったら分かるよって教えたくなります。
大人になったら高校生なんてまだまだ全然子供だったと気づくから!
そんな若者達の外見気にする時間を省いて、中身を成長させるための校則であってほしいですね。
「ツーブロックが高校生らしくない」というざっくりでは解決しません。幼稚園で制服、小学校では自由で中高では再び制服、その先は自由ですよね。これが日本人の標準な道程だと思います。だから疑問に思うことなく来てるんですけど、自己主張や好みが生まれると、ネックになるのは校則ではなく制服であることが多いはずです。ツーブロックがどうのこうのと議論する前に制服だと思います。
そういったルールがあったから二十数年の人生で髪を染めたり刈り上げたことはないけど、今社会に出てそれでよかったと思う。結局、多くの職種では髪型や髪色に制限があるのだから。
明確な基準を設けてその中で個性ある髪型にするのが自由で
それに反するのが自分勝手
身嗜みとオシャレの違いだと某大企業の研修で言われた。
中学や高校は、明確な基準を定めるべき
高校生らしさとかよりも
将来的にこういう髪型が社会人の基準とするべきじゃないかな?
社会に出てから髪を直せと言われることもあるだろうし
学生のころからある程度は、基準があってもいいと思う。
大人になってから黒髪嫌だ
いままで茶髪だったからとかダメだからね
だからこそ学生の時だけでも染めたいとか好きな髪型にしたいとか色々難しいけどね
自分でなに言ってるかわかんなくなってきた。
すいません。
ツーブロックの受験者を、大手銀行や商社が採用してくれるなら、大学の面接受験で合格にしてくれるなら、校則からツーブロック禁止なんて文字が消えると思うんだけど。
高校は生徒指導の先に進路開拓があるから、世の中の大学や企業に忖度して、より無難な髪形にさせようとしているだけに感じる。
奇異な髪形で「受験していいよ」と生徒に言い、不合格であれば学校に文句を言ってくる保護者。これも家庭で指導し、不合格になっても親が責任を取るなら、学校の先生は禁止しないんじゃないのだろうか。
ツーブロックに抵抗があるのは、企業や大学の年配の先生方であって高校の先生ではないように思えるのだが。
一番わからないのは、基準がなく高校生らしい髪型というのがないかを教師や学校が示せていないのに違反とするということ。
丸坊主にさせたいけどそれを強制すると憲法違反になる事例があるからツーブロックをダメというのかもしれないが、そのたびに美容院の費用が掛かるし、直そうとすると短くするしかない訳で、坊主頭に誘導しているとしか思えない。
抽象的なダメではなく、禁止するなら具体的にしないと「あの地域の教師は時代錯誤」としか思われなくなると思います。
本人がそれで良ければそうすればいいし、不利な状況を変えたくて身嗜みを整えるならそれは本人が自分自身で判断することで、結果良い方向に向かうならそれは正解だったと学ぶ。
何が正しいと大人に決めつけられてたら、自発的に何もしなくなって良い意味での個性が無くなってしまう。
校則を守れないなら最初から受験をしなければ良いんでないの?
自分が頭良くなって自由のある学校に合格する努力をするべきだよ。
20歳までは大人の言う事を聞き大人しくしとれ。
人に養ってもらって偉そうなのが腹立ちます。
社会に出たらもっと厳しいところはあるよ?
自由になって髪型弄れる様になったらハゲになってるとか?
俺は学生の時は生活指導に社会に出たらとよく言われたが爺さんと親父がハゲだから逆に今しかないと言い張ってきた。
それでも赤毛でもリーゼントでも普通の扱いでしたけどね。色は脱色しかないような時代…
ボンタンに学バンはペッタンコ…ガラスは割るは消火器は巻き散らかして喧嘩はするは…
あんな時代ってもうこないのね…
あっ今は薄毛です。ハゲではない。
やはり遺伝だな…
「たださっぱりしたかったからツーブロック」にはならないな。
あとあと揉めてまで認めさせたいということは、「明確な理由があってのツーブロック」だよね?
理容師に勝手にされたなら、訴えるべき相手は違うはずだし。
なにも考えずさっぱりしたかったなら、「全体的に短め」になるだろうし。
基準があいまいな校則なのはわかるが、「団体行動の場」とみるか、「自己主張を第一」とみるかの価値観の違いは大きいと思う。
あとは学校の校風だろうね。スポーツ校、進学校でも違うし、ちょいワルが多いか少ないかでも変わるし。
何がいけないのか頭髪検査にひっかかり、切り直しは毎回のようにあります。
お金を頂くことも出来ず、サービスで切り直してますが、はっきり言って理不尽な検査のようです。
清潔感のある髪型なら多少はいいのでは?と思います。
前髪を抑えて眉毛にかかったらアウトと言われることもあると。前髪抑えて歩きますか?と言いたい。
染髪ピアスなどはわかりますが、常識の範囲内なら、髪型はそこまでうるさく言わなくてもいいと思います。
検査に合格したら次の検査までボーボーに伸ばしても注意されないそうです。それなのに、検査の時だけうるさいと。
意味不明ですよ。
これはツーブロックが風紀を乱すような髪型でない十分な根拠だと思うし、学校側の「明確な基準はない。見た目で判断している」などお粗末回答にも程がある。それはルールとして機能していない。
残念ながら今の日本ではまともな感覚を持っている人のほうが声を上げず、ゴネ得に味を占めてる連中ほど大声を上げて無理やり通そうとしてくる傾向があるように思える。
「このルールはおかしいのでは」と感じるのであれば手順を踏んで声を上げていくべき。
中3だった昨年、息子の髪型で何度も注意された。耳にかかると「切ってこい」と言われるので、耳の上を少し刈り上げるような髪型にしたらダメだと。「ツーブロックはダメだ」と言われた。カットした美容師さんに話したら刈り上げてはいるが「これはツーブロックではない。ツーブロックに近いけど違う」と。
校則ではツーブロック禁止とはないのですが、曖昧な解釈で中学生らしくない髪型って事で注意していたようです。担任はサッパリしていて良いと思うが他の先生から指摘があってと言われました。
高校生になり入学式前の説明会時に「県内の公立高校はツーブロック禁止」、しかし入学案内の服装髪型には「見苦しくなく、目、耳にかからない後ろは襟にかからない程度」と記載。禁止なら禁止とハッキリと記載してもらいたい。
それとも詳しく調べもせずに学校を選んだのか?
どちらにしてもツーブロックは、認めてくれなそうな学校に行って、親まで登場して文句言うのもどうかと思う。
見た目に対して寛容な学校が増えていくのは良い事だと思うが、厳しい学校もあって良いと思う。それらも含め生徒側が入学する学校を選べばいい。
自由や個性も大切ですが、規律や協調性も大切。
校則を受け入れられない者は、別の学校を受けるべし。それが社会。
実際、校則に承諾したもののみ入学可能な形にしないと、今の時代は「教育方針」とみなされず、生徒側の不満はすぐに問題とされてしまう。逆もまたしかり。
学校側、生徒側、互いの立場を守るためにも、きちんとした「契約」が必要。
個人的には、学校と生徒のそんな関係は嫌だけど仕方なし。
簡単に判断できるからこそ「ふさわしい高校生像」というものを教育員会が判断基準とするのならば世代や職業など多種多様な人を参加者とした「明確な議論」が必要。
様々な世代、価値観があるなかでクローズな議論で終わらせるのでは疑問や批判が出てくるのは同然だろう。
どのような議論が行われたのか、参加者の世代や価値観・職業はどういったものなのか、これを明示したうえでの議事録を公開するベき。
議論の場は変にかしこまったものにする必要はない、漫画家やヘアデザイナ、小説家や武道家など様々なジャンルの人間を呼んで何度も行えばいい。
大事なのは管理する現場の先生がやりやすいやりかたではない。教育としてふさわしい段取りを踏み、生徒学生に制度を納得させることだろう。
>>ツーブロックはスポーツ選手や高級ホテルの従業員にもよく見かけ清潔感が漂う
>>男子生徒は流行を追ったわけではなく、あくまで「さっぱりしたかっただけ」。その後も説明がないまま卒業し「なぜ違反なのか、いまだに分からない」と、もやもやした思いを抱き続ける
明確な理由無しに、単に他と違う事を禁止するのは日本に多いですが、
多様さを認めない日本の悪い部分の一つ。
これが問題になる事自体が本当くだらない。
”高校生らしさって何ですか?“
そもそも、ツーブロック自体が既に一般的に広まっており、記事にもある通り清潔感必須のホテルマンですらしていて何の問題も無い。
日本の学校は日本軍の名残を感じます。
学校は校則で軍隊の統一を組み込む場所ではなく、勉強をする場所。
まず勉強に集中できる環境にするのが重要。
幼児教育で親向けに言われるのは、「子供の目線で何がいけないのかわかるように伝える」。
けして暴力で解決しないし、暴力で従うのは暴力を避けるための反射で、教育が成立しているわけではないと。
細かすぎる校則も暴力だと思います。
偏差値に関わらず、子供が自分で納得できる行動を教育するためにはまず子供を信用すること。
細かすぎる校則は子供を信用していないとの表れ。
過剰な子供扱いや暴力的に従わせる意識が入っているから子供は反発しやすい。
偏差値が低い学校ほど反発が多いのでは?
校則の中には違法な事や人権無視もたくさん含まれています。
PTA問題も含めて根本的に学校の在り方を変えなければならないのでは?
いいと思うけど、結局生活指導の教師の主観と気分と起源で判定されるのではなく、判定基準を定めておいて且つその判定基準の外側にいる新しい髪形については判断の前例を残しておくとかして、疑問を出されたら明確に生徒や保護者へ判断基準とその結果を伝えられるようにしないといけない時代でもあると思う。
知り合いの子の学校はほぼ規則が無いらしい。まずは生徒たちで考えてって方針らしい。ある時、制服の着方が段々とだらしなくなって
きた時に先生が規則を厳しくするのではなくて
「そんなに制服が着たくないなら私服にするか?」って聞いたんだって
生徒達は「毎日私服は大変だから制服を無くされるのは困る」って言ったら。「ならば常識の範囲の着かたをした方がいいんじゃないかな」と生徒に言って事は解決したらしい。なにも厳しくする事だけが校則じゃない。ってことだよね。
ソフトモヒカンなんて頭頂部が高くなってるんだから短くすると自然とソフトモヒカンぽくなる
サイドの刈上げもさっぱり短くて良いはずなのに上と差がないよう結局坊主っぽくしないとダメ
じゃあ明確にどこまでなら大丈夫なのか聞くと基準がなくそれを見た各先生の主観で判断してる
基準があってそれに照らして各々が判断するならまだしも全く基準がなく、なんとなく中学生らしくないって主観での判断がおかしい
学校により長さの規定はまちまちですので、それを事細かに聞いた上で切りますが、
やはりツーブロックは禁止されてるところは多いと思いますね。
ただ、髪の長さでも、許容範囲の狭い学校は少しでも耳にかかろうものなら即刻カットに行かされるなんて話を聞いたことがあります。
それなのに先生方はパーマかけてたりカラーしてたりと、指導とは矛盾してることもあるらしい。
生徒たちを校則で縛るなら、先生たちも校則に則った髪型をしてほしいものだと個人的には思いますね。
特進系の頭のいい生徒が通う学校などは特に。
逆に、公立高校など地域によってはモヒカンやツーブロックの髪型で、更に制服も着崩していたりして本人たちはそれをかっこいいと勘違いしている。
中にはピアスがOKの学校も、あり驚く。
高校生らしさの基準は実に曖昧だが、やはり髪型や服装はその学校のイメージを左右するし、個性の強すぎるものや毛染めなどをしている生徒を見れば、あの学校はレベルの低い生徒が多いらしいというようなイメージが付いてしまう。
個性も大事だが、服装や頭髪など細かい規律のある学校に入る以上は、郷に入っては郷に従えを遵守することも大切なことであると思う。
学校は集団生活をする場であり、その学校のルールを守れない、守りたくないなら自由がきく所へ行けばいいだけの話。