豊倉あきの『君は、おサカナ』物語と作者の生い立ち!
作者はツイッターで何を語る?
学校って辛い場所?君は誰?
スポンサーリンクあなたは誰?本当の自分は???
学校や家で素の自分を出せなくて、無理してしまうことはありませんか。マンガのSNSを運営するコルクBooksとwithnewsがコラボし、「#学校がしんどい君へ」をテーマにマンガを募集しました。入賞作品の一つに決まった「君は、おサカナ。」は、「仮面」をつけて息苦しくなっていた「君」を描いています。
(中略)
「学校が楽しい自分」を演じた
学校に行かないという選択肢はありませんでした。「親に嫌われたくない」という不安があったからです。
小学校から私立だったこともあり、学費のことも心配でした。夜トイレに行こうと思ってリビングを見ると、学費の話をしている両親の姿が。高いお金を払ってもらっているのだから、楽しく学校に行く自分を見せないといけないと思ったそうです。
「親も楽しくしている娘を見たいんじゃないかと思って、演じちゃうんです。楽しくない自分を見せたら、精神の弱いヤツだと思われて嫌われるんじゃないか。『学校に行きたくない』という負の言葉は言っちゃいけないと思っていました」
家ではベッドの中が一番の居場所でした。
「ふとしたタイミングで死にたいと思ったこともあります。一息ついたときとか、学校のトイレとか。学校に居場所はないし、家ではまた『学校が楽しい自分』を演じる。いつまでこの繰り返しなんだろうと思っていました」
出典:「学校が楽しいふり」していませんか? 「仮面」つけた自分に気づくマンガ (withnews) – Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180818-00000002-withnews-sci
学生時代の辛い経験をもとに、書かれた作品でもある、
『君は、おサカナ』
果たして、この作品を書いた作者、
”豊倉あきの”さんて、一体どのような方なのでしょうか?
君は、おサカナ。を書いた作者ってどんな人?
こちらでは、『 君は、おサカナ。 』を書いた作者、
”豊倉あきの”さんがどんな人物なのか?についてついて
調べてまとめてみました。
『君は、おサカナ』の作者について
・氏名 豊倉あきの (とよくら あきの?)
・性別 女性
・年齢 不詳 20代~30代でまだ若い???
・小学校 私立
・中学校 女子中
仲間外れにされたり・・・等の経験をする
・高 校 共学
男子に、自分の机にいたずら書きをされる
・大学 デザイン学部
・仕事
元ホテルマン(すでに辞めている)
その後、旅を続け、
苦しんでいる子どもたちの助けになりたいと思い、
マンガを描き応募
漫画家を目指してアシスタント生活中
ジャンプ+の連載グランプリにて『歌ぶきもんっ!』が特別部門賞オリジナル部門ゲット
現在は、藍本松先生の『怪物事変』レギュラー、小山宙哉先生の『宇宙兄弟』のヘルプをしている
・本人のツイッター → https://twitter.com/ahuroakino08
本当にインタビュー出ちゃいました…/(^o^)\笑
学校や社会がしんどいと感じている方はここにも仲間いたわーの感覚でお楽しみ下さい…!← https://t.co/RZD35yj7hJ— 豊倉あきの (@Ahuroakino08) 2018年8月19日
『君は、おサカナ』のストーリーは?
・主人公 海に落ちた、自分を犬だと思い込んでいる謎の生物?
・場所 海の中
・内容
海に落ちてしまった自分を犬だと思い込んでいるその主人公に対して、
あるお魚のキャラクターが色々話しかけてくれる。
そして、世界には様々な場所に様々な多様な生物がいることを教えてくれる。
たとえば、
・海が好きな場所の生き物、陸が好きな場所である生き物
・独りぼっちでいることが好きな生き物、たくさんの生き物に囲まれて群れで生活をするのが好きな生き物
・肉食動物である生き物、草食動物である生き物 などなど・・・
主人公は、犬なのか、それともサカナなのか?それとも別の生き物なのか?
自分の姿、自分の立ち位置、そして自分の居場所を探し
そして見つけていく。
自分の姿を隠し(仮面を被り)生きていくこと必要なんて無いんだよ。
本当の自分は一体何者なのか?について
明確な答えは作中では出てきておりませんが、
一言で言うならば、『本当の自分探し』をテーマにしたような作品となっております。
世間の反応は?
ただ、自分以外は仮面を付けてないと思うようならそれは間違いだ
仮面の付け方を覚えるのが学校
それが社会性ってもんだ
でも小学校から高校まで我慢して楽しいフリしてたし、それが社会性や社交性を育てたと思う。
出席日数確保かつ親の了承を得て高3は結構サボったけど、難関大学入って大学で社会復帰出来たし社会人生活全く問題ないから、学生なら限界来ればサボリもアリだと思う。
何より教室、クラスという括りが嫌だった。
笑わない日がないくらい楽しい!
って言ってたのが凄く印象的だった
もちろん試験等では苦しんでるんだろうけどね
自分がそうじゃなかっただけにそう思えるって幸せだなぁ、って感じました
色んな動物がいる、肉食も草食もかあ
うまい表現だね
学校ってところは息がつまる場所だった
でも我慢して通った
高校に入ってようやくマシになった感じ
高校からは実力別のクラスで気の合う友達がたくさんできたり、尊敬できる先生に出会えたり本当に楽しかった
こんなにも環境が合う合わないで勉強が違うのかって思ったよ
人によっては学校自体嫌いになりそうだよね
楽しい事がある可能性がある場所だった。
引っ越しが多く。親友もできたけど、暴力的な虐めにもあった、何故か憧れの転校生として大切にされた事も。
理想を描いていたり、期待しすぎると、つまらないかもしれない。
本来は勉強に行く所。
偶然が重なったら、楽しい事もあるかもしれない場所。くらいに思っておいた方が良い。
いじめ・パワハラを我慢しろとは思わないけど、でなければ誰でもどこでも嫌なこと・理不尽・気の合わない人がいても仮面を付けながらやり過ごして、その中にある楽しいことや嬉しいことを全力で享受してる、しようとしてる。
それを知ることも大事だと思うんだけど。
不幸だと思うことは、
幼少の頃から10代までは、教員を全く尊敬出来なかったことかもしれません。
随分経ちますが、教員の言葉が、人生で響いたためしがありません。恩師と言える人に会えている方は、幸運なのかもしれないですね。
他の人も同じく楽しいふりをしていたのかもしれませんね
干からびる前に、見方を変えてみて。
PTA、子供会、体育協会役員、交通安全母の会、
色んな役がある度に、溜息です、
全部したくないのに
やらなきゃいけなくて
自分の居場所なんてないです
したくないから引っ越したいです
なんだかんだで、独身の時に誰からも
何からも縛られず、決まりもなく
自由に選べて生きれるのが
楽しかったし、居場所もありました。
大人になっても色々とありますよ、はぁー
私が知っている人は成績下位の人ばかりです
もしかすると、このクラス制が日本人特有のネガティブな要素を醸成される一因なのかも知れない。
悪いことではないですよね。
人類全員が、思ったことを言い、楽しくないからって不機嫌にしていたら社会が成り立たなくなる。学校、家族の中でも同じだと思います。
でも社会ってそんなもんだし仕方ない
少しでも楽しいと思える学校ができたらいいことですがね
都合で自宅から離れた高校に通って
あまりの地域差から馴染めませんでした。
バブル期ですが
その頃横浜市緑区は不良だらけで
授業していると暴走族が茶化しに来る始末。
部活も坊主頭を強要され嫌で退部しました。
シラけて行かなくなりました。
それでも耐えて卒業しました。
幸い成績は良かったので進学できました。
大学も横浜でしたが今度は地方の人ばかり
皆、その時だけ一瞬だけをはしゃぐようで、やはり馴染めませんでした。
でも、耐えて卒業しました。
就職しても同じ。
二年後転職しました。
やはり馴染めずにいたものの
転職だと思える仕事に出会えました。
そして四年過ぎ
やはり団体行動に馴染めずにいたため
独立しました。
それから20年経ちますが今思うと
あの苦しさがバネになっています。
でも、正直大企業の社長にはなれていないんです。
かつては友人と徹夜したり、
カラオケやったり誕生パーティーやったり、
リアってた。
SNSもやった。
たまにはリア充の仮面もいいが、
一人が一番落ち着くというのが30年生きた感想だ。
一人一人の考えかたが違うのだから、ぶつかり合うこともあるさ、理不尽な先輩もいるさ、教師に怒られることもあるさ、
将来、職場を転々と変え、最後は生活保護を受けて生きていく人になってほしくないなあ。
学校は学びに行くところだと思うが。
だから学力がつかないんじゃない?
しかし、多数の人が、将来のため、家族のために、自分を奮い立たせ無理をしながら生きているのではないでしょうか?
人との関わりは
同じような事でしょうこればっかりは。
結構、親の育て方で
影響は出ると思う。
結果、学校嫌いになったとしても
大人になって、ある程度の勇気で
カウンセリングを受けたり、
自己肯定できる勉強をできたりするから。
悩んでる子がいたら、
今だけが全てじゃない事を側にいる人は
教えてあげてほしい。
楽しいフリが出来るだけでも、凄いことだと思うよ。
線引きできたから
今があると私は思ってます。
本当に楽しい時間が一瞬も無かったわけでもないし、仮面つけながらでも通ったから気づけたこともたくさんあります。
楽しいふりしたくないけど
今の現状を打破する勇気はとても大変だと思う。
若いと経験が少ないから「今が全て」と思ってしまうだろうけど
必ずいろんな海があるから今がほんの小さな沼であること気づいてほしい。
クラスの人気者のそばにいるだけで頂点付近に立てると思ってた学生時代?
最初からお宅の人たちとつるんでればよかったってだけじゃない?
自分が何者かわからなかった弊害であって、人のせいだけ、じゃないと思うよ。
心底楽しそうな人でさえ、俺には、深層心理では孤独や寂しさを感じていてそれを埋めるように楽しさを演出してる(楽しいと思い込もうとしてる)ように見える。
環境に敏感な人、気を遣いすぎる人等、傍目にはわからない生きづらさを抱える人達は尚更辛いと思う。俺もそうだったし。
そんな自分を受け入れ、またそんな他人を受け入れることが出来るかどうかで、色々変わりそうな気がするな。
ここまで見てきましたが、やはり
多種多様な意見・考えがありますね
その他には・・・
小学校は、音楽と図工の授業が嫌いで、
中学校は、馬鹿な先輩や部活の顧問に虚礼をするのが嫌いで、
高校時代は、一気に楽しくなったが、大学時代は、楽しいフリや教授を尊敬するフリに疲れた。
新人社会人時代は、先輩のもって回った言い方に疲れ、、、。
自分がこんなにギャル好きだと思わなかった。
保育園児でも仮面着けてますけど。。。
当時は、狭い世界で生きていたので、こんなものかと思ってたが、
社会に出て色々な刺激を受けて、昔を振り返ると、「よく耐えたな」
と思う。
絶対にあの時代に戻りたくない。
だけど、そういう経験したからこそ今の自分があるのかな。
そこそこ楽しい時もあるし悪くない
少なくとも家にいて愚痴っぽい親と喋っているよりは楽しい
という感じでした
大学は理系にすすんで、男子校みたいな環境になったら、普通に馴染んで、いつのまにか社会人になってた。
ただ、超絶進学校だったから、それが救いだったのかも。
アホ高校だと楽しむ以外にやることなさそう。
設定に違和感がありすぎて面白いともナルホドとも思わない
でも、社会に出てみて満員電車で通勤して長い会議に出て…
学校で嫌でもやらされていた事が、その時ようやく役に立ったような気がした。
部屋の模様替えみたいなもので家具売り場のお洒落な寝室を自分の家で再現しようとしたら部屋の大きさの問題などがあります。
また、生活環境や趣味でも内装も変わります。
それを「お洒落だから」とか「カッコよさそうだから」とかの理由で我慢していたらストレスが溜まります。
自分の性格や考え方を知り部屋の大きさ(キャパシティ)を知り、その上で少しずつ自分にとって住みやすい部屋を作っていくのがいいと思います。
学校や親のエピソードだと思い込みで判断しちゃって自分自身を苦しめたようにもうかがえる。
こういうのダサいよ
半数以上が楽しいのは、小学生くらいじゃないかな?
子供の頃は、自分で完結出来る手段を持たず、人見知りで口下手で不細工で気がつけば周囲の子供から人格も否定されていじめられ続け、持っているスキルを否定され、父親から虐待され、生きている意味がないと思ってた。
仮面をつけて生きていけるなら、つけたかった。仮面を付けてでも周りに認められて生きてきたかった。不器用すぎて仮面も持てなかった。仮面を持てない自分を自分が大嫌いだった。
辛すぎて子供の頃の記憶があまり無い。そんな思いを今の子供たちにはしてほしく無い。
私はこの年になってやっと、今いる環境に必要な仮面を持てたのだと思う。其れ位には世界は世知辛い。
十人十色という言葉がある。少数派を踏み潰す多数派であって欲しく無いと願う。
ただ、学校というのは、クラスがあってみんな友達同士でくっついたりするものだから、ひとりぼっちで寂しくなるのは当然だとは思います。
でも、みんなに馴染めていない子が変だとは全く思いませんよ。
逆にまわりの子達も、友達同士かたまってワイワイしているかも知れませんが、みんながみんな、心から楽しめているのかといえば、疑わしいところです。
それが、心から笑っていても、、ですよ。
笑い合っているその子と一緒にいる事が、本当の心の充実に繋がるかどうかは、わからないものです。
案外、虚しいだけだったりもしますよ。
結局、やっぱり自分は自分でしかなく、ある意味みんな自分ひとりと向き合っている部分があるんです。
友達がいても、ひとりぼっちでも、そうです。一緒に誰かといるかいないかの違い。
(続く)
自分は昔の人間だけど学校は楽しい場所だった。
それがなぜ?
もう1つ。
環境適応能力があれば「自分の居場所」などというあるのかないのかわからない場所を求めて半生を費やす必要などない。
今の学校はストレスも多いらしい、だから居づらい。そう聞くが、アルバイトにやってくる学生やフリーターを見ていると明らかに考えが甘い。そして常識ではあり得ない辞め方で職場を去っていく。
彼らはまた新しい「自分の居場所」とやらを探しに旅立って行ったのだろうが、そうした辞め方をしていった彼らに都合の良い「居場所」など見つかる訳がない。
環境が悪いと決めつけて他所に居場所を求める前に「自分に改良の余地はないのか?」、「石の上にも3年」と言う言葉に思いを致すべきではないのか。
これだけ世の中に「学校至上疑問論」が蔓延していても俺は相変わらずそんな風に感じる。
高い学費を払ってる親のことを思って楽しいふりをしたそうだ。
学校のせいで本当に苦しんでいる人や人格を否定されるような思いをしている人はいっぱいいる。
自分が学校で別段それほど嫌な思いしてなかった人、そこまで学校が合わなかったわけでもなかった人は
学校は社会性を学ぶ所だとか嫌なことは誰にでもあるなどとか上辺的なことを安直に語らないで欲しいものである。
友人もそれなりにいたし普通に通ってたけど集団生活ってのがどうも苦手でその上、幼稚園の頃から担任の先生に恵まれず何もしてないのに目をつけられて吊し上げにあって教師には散々な目にあわされた。
運動会の練習とか全校集会で整列した時に背が高くて目立つからと肩が下がってるとか体が傾いてるとか胸を張れとか全校生徒の前で名指しで怒鳴りつけられ、蹴られたり、往復ビンタされたり、今なら体罰で大問題だけどねw
それでもぐっとこらえて毎日学校へ行ってたなぁ。
いい歳になった今でもその時の教師を殴ってやりたいほどだ。
幼稚園から高校までいい先生だったなぁと思う先生は5~6人かな。
あとはクズw
学校が楽しいかはいかにいい先生に巡り合えるかだね。
そしていい友人。
.…は、本人にも優しく精神衛生上も良いことでしょう。
でも、「無理しない」と、「我が儘」との境界線はどこなのか、不明な点もあります。
社会に出たら学校よりもっと困難にならないのでしょうか。
それとも、未来はとても穏やかな優しい社会になり、「我が儘」という言葉は無くなっているのだろうか。
そうなればどんなに良いかと思いますが。
個の発言や責任能力よりも、連帯感重視
皆に合わせなきゃハブられる学生特有の空気感が大嫌いだったね。
早く社会人になりたいと一年生の頃から願ってた。今社会人ですが居心地最高ですわ
行かなくてはならないから行ったけど
でも、今、自分の子どもに、いじめられているとか明確な理由がない限り「行きたくないなら行かなくてもいいよ」とは言えない
誰もひとりでは生きていけないからこそ、学校というある程度は失敗が許される環境で、「ここを出たとき、どういう道を選んだら、自分は生きやすくなるのか」を一生懸命考えてほしいと思うから
6年生の夏に転校した時は流石にこたえた。辛い別れがあったからか、その後の人間関係は本能的に希薄はものになった。どうせ別れるんだし、うわべの付き合いでいいやと・・・
なので、今だに2年一緒にいると飽きてくる。群れるのは嫌いだ。離婚したし、そろそろ子供との生活も飽きてきた。
仕事は自営。とりあえずの社会性はあるけどね。どうせ死ぬ時は一人だし。焼いたら炭素になるだけだし・・・
学校なんか楽しいと思ったことなんか1度もねえよ。
どうでもいい記事だ
つまらない楽しいの問題じゃない。
嫌な事でもしなくちゃいけない。
「個性を大事に」を履き違えた我慢できない人間が増えて今不登校だらけじゃん。
子供のうちは親が守るからいいんだろうが
大人になったらどーすんの??
別な対策もとらずただただ不登校で逃げて
家で好き勝手してる奴はもう先がないよ。
死んだ方がいい
酷い洗脳の言葉だと私は思います。
SNSでつながっている人は千人を超えるけど、
本当の友達と呼べる人はそう多くない。
というか友達は百人も要らない。
友達を百人作る方向のバイアスがかかっているから
自分と合わない相手とも友達にならねば
ということになる。
友達百人は
他者と折り合うことを求めており、
教育というより学校の管理の効率化のための洗脳に近い。
私は小学校の途中で親の海外赴任に伴って
海外のインターナショナルスクールも経験したが
小学校から学習に最適化されており、学科教科は能力別のクラスで、別のホームルームや別の学年の生徒と一緒に学ぶし教科ごとに専用の部屋に移動する。
能力別だからどのクラスも落ちこぼれがいない。
日本の小学校は生徒を無理に年齢でくくり
管理されやすい誰とでも協調する無個性を造るための教育と思います。
楽しい時に楽しかったらそれでいい。
もっと頭空っぽにしていいんだな、と社会人になってから気づく。その方が楽になれる。
時間の中で過ごすものです、楽しい振り等と戯言の漫画等に
振り回されて生きていける物ではないと思いますよ、
只人には良き運と悪しき運との出会いが必ず有ります、
人間は何の頂点に立っているのか良く考えて生きて行く事で
生きる喜びと苦しみに耐える能力が有ると思います、
その本質で、
社会人になっても苦労するだけ。
つまらないから行きません、という理屈は通らない。
逃げてばかりいると、あとで苦労することになるだけ。
夫婦仲が悪いと家庭でも仮面が必要になります。俗に言う仮面夫婦です。
日本人は特に、周りについつい合わせてしまう人が多いので、小さい内から仮面の付け方を否応なしに学ぶ必要がある。
大人になっても、なかなか生きづらいと感じる世の中です。
、楽しいふりをするのも、学校、職場には当たり前にあるような…
同じく仕事場も^^
だって、学校は遊びに行くところではなく、勉学に励むところで、仕事場も働くところだからね^^
多くの人たちと勉学や仕事をするのが楽しいと感じる人もいるだろうけど^^
友達は多い方がいい
行事は楽しまなくてはいけない
こんな風潮で苦しんだ人はいるだろう。
人は社会性の潤滑剤として大なり小なり何かしら演じてる。他人との関わりが煩わしくなって逃げるのも一手だが、逃げ続ける事は生きている限り出来ないと思う。
人生は動物園じゃない。
無難にやり過ごす事が出来たら合格でいいんじゃないでしょうか。
そいつがいつか変わってくれたり仲良くなったりはしない。
だって元々仲良くする気が無いんだから。
学生時代に学んだことは、それだけ。
辛いことも悲しいことも楽しいこともあって当たり前。
学校の中だけは、「全員幸せでいること」を求められても無理。社会に出たらより厳しいことが待っている。いじめだってある。だから、鬱になったり、自殺したりする人が大量にいる。自分に向いていること。
正しい逃げ方やかわし方。
いろんな方法を、学校や家庭で学んでいくのが子どもに必要なことだと思う。
こういうマンガにまどわされないでちゃんと学校へ行ったほうが
将来まともな人生が送れることは間違いないよ。
いじめられているなら音声でも映像でもいいから証拠をつかんでつきつけるのが一番いい。証拠なしだと相手の親に訴えられるから学校も教育委員会も対処のしようがないんだよ。とにかく証拠とれ。
何を、いつまでも小中高の時をグチグチ言っているんだか理解できん。
でも、本当の自分の居場所は自分が自分の一番の理解者であり、どんな状況でも自分が自分を見捨てないことだと言われているけどね。自分も、そういう考え方に同感。
他人からの承認欲求や自分の気持ちを理解してくれ、ありのままの自分を受け止めて!ばかりじゃ、いつまで経っても自立はできないし、欲求が満たされない。
自分はいじめに遭ってた時があったけど、
先生は全く話聞かねぇし、
相手の言うことを丸のみしちまう。
おかげでいつも怒られるのは俺だけだった。
挙げ句の果てに転校したよ。
ホント最近の学校の先生はおかしすぎる。
優等生しかひいきしねぇし、
授業も糞、
オマケに問題までおこしやがった。
今の教育現場はどうかしてるぜ。
などなど。
記事に対して否定的なコメント有りますけど、いじめられたり馴染めずに自殺した生徒にそんなこと言えますか?
僕は言えない。
無理に笑わなくて良いんだよ。
逃げたって良いんだよ。
その一言で助かる命がこの世にはある。
まとめ
人間誰しもが、その場その場で色々な性格に化ける!
たくさんの顔を持つ!
それは決して自分だけではなく、他の人もみんなそうなんだ。
たくさんの世間の意見を見ると、そう思えますね。
本当の自分なんて、自分ではわからないもの。
ましてや他人は尚更ですよね。
どんな顔があってもいいんじゃないですか。
人間だもの!!!
なーんて、偉そうなこと言ってますが、
わたくしアメツルも自分がどんな人物なのかが自分でもまったくわかっていない、
ただの人ですけどね。
本当の自分を探す!なんて難しいこと考えずに
ありのままの自分でいることが本当は楽なんでしょうが、
それが出来ないから、色々考えてしまうのでしょうね。
意外と、何も考えずに気楽にいることができれば、
それが生活をしていく上で一番幸せなことなのかもしれませんね。